2021-04-21 第204回国会 参議院 国民生活・経済に関する調査会 第5号
今スライドに映していますが、これ、三十一ページ目にありますように、自殺のリスクが高まるときというのは、生きることの促進要因、これは生きることを支える、生きることを後押しするものですね、将来の夢であったり、信頼できる人間関係、あるいはやりがいのある仕事や趣味、ライフスキル、これ何か困難やストレスに直面したときの対処能力とか、あるいは信仰であったり、社会や地域に対する信頼感、楽しかった過去の思い出といったような
今スライドに映していますが、これ、三十一ページ目にありますように、自殺のリスクが高まるときというのは、生きることの促進要因、これは生きることを支える、生きることを後押しするものですね、将来の夢であったり、信頼できる人間関係、あるいはやりがいのある仕事や趣味、ライフスキル、これ何か困難やストレスに直面したときの対処能力とか、あるいは信仰であったり、社会や地域に対する信頼感、楽しかった過去の思い出といったような
周りが何と言おうと、自分はある信仰の下、神から守られているという一神教的なその信仰があれば、周囲の顔色をうかがわずにも自分の信念を貫くということが可能な部分もあろうかと思うんですけれども、当然ながら、日本ではそうした一神教的な信仰をお持ちの方は少ない、子供でも当然少ない。そうすると、やはり周りの顔色をうかがいながら常に行動するようになってしまう。
過去の大学教育の改革、この二十年ぐらいを見ると、どんどんどんどん、何か企業経営のビジネスモデルを大学に当てはめればそのままうまくいくという、素朴な信仰のような発想に基づく大学改革が行われてきたんだと思います。
各居住者の年齢、性別、住所、職業、信仰、結婚歴、人種も祖父母の代まで遡って調査をして、これを六十列十行の、つまり六百項目にわたるパンチカード、ここに記録していったんですね。何千人もの事務員がこれに当たった。だから、ユダヤ人がどこに何人住んでいるのか、カードの識別ですぐに分かったわけですよ。
もう一つ、これに関連して教訓のもう一つありますのが、これ、技術に関する過度な信仰があったんじゃないのか。技術があれば何でも解決できるんだ、このこと自体が誤っておるのではないかと私自身は強く思います。デジタルすれば、何でもない、便利になるといっても、じゃ、どう便利になるのか。
民俗文化財は、文化財保護法上では、衣食住、なりわい、信仰、年中行事に関する風俗慣習、民俗芸能、民俗技術及びこれに用いられる衣服、器具、家屋その他の物件で我が国民の生活の推移の理解のため欠くことができないものと規定されております。 しかし、これだけでは、民俗文化財とは何かという問いの答えとして必ずしも適切ではないと思います。 文化財の頭に、民俗の語が付されています。
かつては、日常生活の中での楽しみや深い信仰など、その人の生活や人生に意味があったと推測します。しかし、現代においては、生活やなりわいの在り方が劇的に変わったことにより、何が意味があるのでしょうか。来年が待ち遠しいという気持ち、自然や歴史への畏敬や敬意、祭り行事の日が近づくと躍動してくる心など、各人の生活や人生における意味をいかに育んでいるか、課題と思います。
他方、私立の学校のように建学の精神があったりすると、これ、一般的な価値観じゃなくて、例えば創設者の信仰ですとかそういったものでそれぞれ学校のルールが違って、何でそんなものが校則になるんだろうなってよそから見るとすごく違和感を感じるんだけれども、その学校の中では非常に大事な価値観というのもきっとあるんだと思うので、一概に校則を文部科学省が間に入って、変えていいんですよ、どんどん変えていいんですよと言うことよりも
加えて、新築信仰というか、そうしたことの、マーケットのニーズということを変えていくということがやはり大事なんじゃないかと思います。 一つは、他方、マンションなんかは、新築信仰というより、マンションは既存マンションの方が圧倒的に多いですから、その中で躯体がどうなのかとか水回りとかバリアフリーとか、そうしたことで、だから新たな価値で価値づけられている。
だから、そういったことで、やはり、自分の信仰上の考え方もありますけど、人は死んでも死なないという言葉が私はとても大事だと思っていますが、自分が死んでも私のDNAが子供を通じて次の未来の子供たちにつながっていくというふうなことで、生きること、生まれること、とても大事だと思っています。
こういう誤った信仰、まさにこれ信仰ですよ。宗教と言ってもいい。そういう思い込みが蔓延しているんですよ。これ駄目です、これは。 そうじゃなくて、今やらなきゃいけないのは、そういうのじゃなくて、現実は逆さまなんですよ。現実は、通貨は日銀が日銀の意思で幾らでも発行することができる。そして、そういう状態であるからこそ、今国債の発行も、まさに金額的には無制限にできるわけです。
大量殺りくや追放、その土地に根付いた信仰の冒涜、記念碑の破壊など、人の集団を、文化や歴史、事実を消滅させることです。 一九四九年から始まったチベットの民族浄化は、指導層に当たる僧侶の逮捕や投獄、寺院の破壊、漢民族の政策的移入などによりチベット人が少数派となり、現在ではほとんど目的を完遂されている状況です。
社会貢献事業や社会貢献活動には、特定の政党、政治団体を応援する政治活動や特定の宗派を信仰する宗教活動などは含まれるんでしょうか。
その中で、リフォームの予算ですとか様々なことをやりながら、なかなか、残念ながらその政策的な効果が出ていないというのはもう御指摘のとおりですが、他方で、マンションについては、新築信仰ということから、マンションについては既存マンションのシェアも随分上がってきていると思いますので、それは一つ政策効果というか、朗報なのではないかと。
信仰の対象でもあります。私の地元の隣の稲美町では、天満大池にみこしを投げ入れて水上で練り回される、水上みこし渡御といった祭りも行われているところでございます。 こうしたため池や疎水の歴史、伝統、文化に目を向けて、私の地元の御坂サイフォンとか、これは観光名所にもなるんですけれども、そういったのも含めて、観光資源、文化資源としての活用についてお伺いします。
ですから、成長信仰をたたき壊さないと。ですから、これからの経済政策、社会政策は、むしろ成長信仰からの脱却、宗教改革に近いというぐらいの感覚を持っているんです。 マクロ経済の専門ではない、金融だとおっしゃったんですが、そうはいっても世界経済全体をごらんになっている観点から、知見があればちょっとお答えをいただきたいと思います。
宮古島駐屯地の敷地内には、地域の重要な信仰の場所であるウタキと拝所が存在しています。このカーンミウタキは、千代田カントリークラブの当時は一万四百平方メートル以上の森として保存されていました。
秘密裏に、造らないと言っていた弾薬庫、広大な土で覆った弾薬庫を内部で造っておきながら、こういう住民の大切な信仰の対象であるウタキを大きく削っていく、まさに一万平米からいえば半分以下にしてしまうと、こういうことをやっているわけです。 私たちは、やはりそういう意味では、より自由にやはりできるように、つまり、希望する者が全員がウタキに入れるように防衛省としては配慮いただきたいと思っております。
次の質問もそうなんですけれども、四月に開設された宮古島駐屯地の敷地内には、以前から住民の信仰の対象であるカーンミウタキという拝所、拝所の森がありました。防衛省は保全することを約束していますが、具体的にどの範囲の面積をどのように保全していく計画でしょうか。
また、須網参考人からは、この法案によって結局、もともと心配していた、試験に偏る、司法試験信仰に回帰する、こういう指摘もあったわけで、ここも当たっているところはあるんじゃないかと思うわけですが、こうした本法案の狙いに対して厳しい声が立場が違うところからも上がっているというところを踏まえて、大臣の見解を聞かせていただきたいと思います。
日本は、国民性によるものかもしれませんけれども、新品かつ最新モデルに対する信仰が強過ぎるのか、携帯端末に限らず中古市場というものが非常に未熟であるように思われます。
日本には、古来、言霊信仰という信仰があるんですね。口から出た言葉には魂が宿る。この魂の宿った言葉が国民の心にすとんと落ちれば非常にハッピーになるという思想ですね。ところが、この言葉に魂がこもっていないということになりますと言葉が空中浮遊してしまう。実行可能なんだという魂を入れた検討をやっていただきたいと思います。 以上、終わります。
ネパール国民にとっては信仰の対象でもあり、今後も引き続き協力することが我が国の重要な役割と考えます。 次に、教育に対する支援の必要性についてです。 緊急学校復興事業は約二百三十六校の再建を支援するものですが、今回は、対象校の一つであるウデカルカ高等学校を視察しました。訪問時、大勢の生徒たちから生花の首飾りをたくさん掛けてもらい、大変な歓迎を受けました。
大相撲の土俵では、土俵祭り、神送りの儀など神道式祈願を執り行っておりますが、大相撲にとっての神事とは、農作物の豊作を願い感謝するといった素朴な庶民信仰であって、習俗に近いものです。歴代の理事長や理事が神事を持ち出しながらも女性差別の意図を一貫して強く否定してきたのは、こういった背景があったからでございます。